基本的にはノープラン。
行き当たりばったりっていう訳でもないが、結論から言えばノープラン。
こんな人生意味あるかな?ってよぎる事がある。
ただ、すぐに思い直す。
恐らく、終わる時にそれが分かるんじゃないかと。
土を耕し、種を撒いて、収穫、そして販売。
それを1つの過程と考えるなら、意味を見出せない事はまだ土を耕してる時なんじゃないかと。
それを1つの過程と想えるなら、まだ種を撒いてる時なんじゃないかと。
それを1つの過程と確信出来るなら、まだ収穫してる時なんじゃないかと思うんだ。
その無意味な事に意味がある事を理解出来てないだけ。
時々思うのは、その事に気付いてしまったんだと言う事。
終わる時を前にして、無意味な事にすら意味があるという意味。
それは自分の過程を通して、いつからか確信へと変わっていった。
なぜ、中国語を覚えたのか。
自分では覚えようとか、そんな大それた意味はないんだ。
「ただ、なんとなく」それだけ。
自分が中国へ行くなんて思ってもいなかったし、なんで中国語を覚えたか、その意味はそういう事だろう。
そういう必然的な事は苦労とかそういう事を通りこして、自然に身に着く。
これを読んでる貴方だって、今の存在意義を考えると、そんな出来事ばかりなんじゃないかな。
それらの物語は終わる時に振り返るんだろうけど、自分はその事を前提に物事を決める。
何て言うか、心地良い方へ行くというか、直感というか。
だから結論的にはノープランという結論になる。
物事に迷うなら、終わる時のイメージの中で、あれは必要だったかなと考える。
ほとんどの事は、なんであの時あの事であんなに迷ったのかなって想うんだと思う。
そう考えると、世の中必要な事は少ないと想うんだよ。